ヘラクレス神殿
アンマン市街の風景
アンマンの地は新石器時代の9000年前以来の定住地で、古代エジプトの統治を受けた時代に、アメン神の名を冠したアンモンという名の都市が建設されたと伝えられる。聖書ではアンモン人の主要な都市として、ラバ、もしくはラバトの名で登場する。やがて、ヘブライ語でラバト・アンモーンと呼ばれるようになったこの都市は、アッシリア帝国、ペルシア帝国、マケドニア王国の征服を経て、エジプトのヘレニズム王朝プトレマイオス朝の支配下になり、プトレマイオス2世ピラデルポス(Philadelphos)にちなんで、ギリシャ語でフィラデルフィアと呼ばれた。
フィラデルフィアは紀元前1世紀にローマの統治下に入り、ローマ帝国のもとでキリスト教が流入し、司教座が置かれた。アラビア語名のアンマーンは、先イスラム期にシリアを支配したキリスト教系アラブ人のガッサーン朝のもとで起こり、ウマイヤ朝およびアッバース朝の時代に都市の繁栄と共に定着していったが、度重なる地震と戦乱によって次第に都市としては衰えていった。
1887年、ロシア帝国の弾圧を逃れて北カフカスからオスマン帝国領のシリア地方に亡命してきたチェルケス人が、フィラデルフィアの廃墟の近傍に住み始めたことによってアンマンは再び歴史に登場する。1900年、オスマン帝国のスルタン、アブデュルハミト2世がダマスカスからメディナまでのヒジャーズ鉄道建設を命じたことにより、アンマンに大きな鉄道駅が建設されることになり、周囲や沿線の物資の集散地として浮上を始めた。1921年にハーシム家のアブドッラー・ビン=フサインがイギリスによってこの地域の首長(アミール)に据えられると、アンマンに政府が置かれた。当時はサルトがヨルダン川東岸地域(トランスヨルダン)の中心都市であり、アンマンは未だ都市らしい都市ではなく、アブドッラー・ビン=フサインは当初、駅を王宮に、列車を政府庁舎代わりに使っていた。
1946年にトランスヨルダンが王国として独立すると、アンマンはその首都に昇格するが、1940年代後半の人口はわずかに2万人程度であった。しかし、イスラエル独立をめぐる混乱の中で、ヨルダンにはパレスチナ人の難民がパレスチナ各地から押し寄せ、トランスヨルダンにおける数少ない都市らしい都市であるアンマンの人口は急速に膨張した。その結果、居住地は都市の中心部を外れて、旧市街を取り囲む丘の上にまで拡大している。1990年代だけでも、パレスチナやイラクなどからの移住者や難民もあり都市拡大のペースは加速し、西部に新市街が次々誕生する一方、水の供給が深刻な問題となり始めている。
なお、1970年に発生したヨルダン内戦によってレバノンに追放されるまで、パレスチナ解放機構(PLO)の本部が存在していた。
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