ぱぶさんの旅行記
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旅行記タイトル:2泊3日のヨルダン観光 (1) ハラナ&アムラ城からペトラ
旅行期間:2006/07/22〜2006/07/24
旅行記の内容:2006(H18)年、7/22(土)?7/24(月)の2泊3日でヨルダン観光地を廻りました。
短い時間でヨルダン・ハイライトとも言うべき以下の場所ですが、ぱぶさんの推薦ルートです。
7/22(土):第一日目 8:30am アンマン出発 → ハラナ&アムラ城見学 → マダバ (聖ジョージ教会やモザイク作品見学後、ハラート・ジョドウドナで昼食) → ぺトラ・ホテル着
7/23(日):第二日目 8時ホテル発、12:30頃までぺトラ内(大宝物殿、博物館等含む)見学 → カラク城(カラク・レストハウスで遅い昼食)→ ワディ・ムジブ(展望台)→ アンマン帰着 (夜、中華レストランで会食)
7/24(月):第三日目 9:00am アンマン出発 → モーゼのネボ山 → 死海(メイベンペック・ホテルのビーチで遊び、昼食)→ ジェラッシ見学 → アジュルン城見学 → アンマン帰着 (20:00頃)
写真:2006(H18)年、7/22(土)?7/24(月)の2泊3日でヨルダン観光地を廻りました。
短い時間でヨルダン・ハイライトとも言うべき以下の場所ですが、ぱぶさんの推薦ルートです。
7/22(土):第一日目 8:30am アンマン出発 → ハラナ&アムラ城見学 → マダバ (聖ジョージ教会やモザイク作品見学後、ハラート・ジョドウドナで昼食) → ぺトラ・ホテル着
7/23(日):第二日目 8時ホテル発、12:30頃までぺトラ内(大宝物殿、博物館等含む)見学 → カラク城(カラク・レストハウスで遅い昼食)→ ワディ・ムジブ(展望台)→ アンマン帰着 (夜、中華レストランで会食)
7/24(月):第三日目 9:00am アンマン出発 → モーゼのネボ山 → 死海(メイベンペック・ホテルのビーチで遊び、昼食)→ ジェラッシ見学 → アジュルン城見学 → アンマン帰着 (20:00頃)
ヨルダンはサウジ、イラク、シリア、イスラエルと国境を接している。
ヨルダン川西岸(パレスチナ自治区:水色の死海に接する黒褐色の部分)やゴーラン高原(地図上部の水色のティベリア湖=日本ではガリレア湖に接するシリア国境周辺)も死海やヨルダン川の向かいに見え、エジプトも紅海の向かいの位置にある。
日本ではヨルダンは何か治安が悪く、危険な地域の様に思われている節がある(?)。
しかし、実際にヨルダンに住んでみると、夜も街中を歩いて、特に危険を感じることは無かった。
むしろ、最近増えている車とバブルの様に建つアパート建設ラッシュで、道路混雑が激しく、交通事故(あたり!)の方が余程心配であった。
黒で囲った部分がヨルダンで、今回の旅行はアンマンを基点に180Km南のペトラの以外は100Km圏内である。
アンマンを8:30に出発して東部、ハラナ&アムラ城をめざす。
ちょっとアンマンを離れると行けども、行けどもこんな風景。
ヨルダンの80%近くが土漠と言われるこの様な土地柄なのだ!
ウマイア朝のカリフ(太守)が7?8世紀に建てたデザート・キャッスルである。
このハラナ城は一辺35mの壁を持つ長方形の建物で、角は円塔になっている。
内部に入っても特に目立った装飾や部屋等はない。
階段を登って屋上から見ると、1本の道が見える。
これはイラクにつながる道である。
アムラ城は世界遺産に登録されている。
アムラ城の入り口門には世界遺産の標識が認められる。
アムラ城は遠くからも浴室のドーム屋根や井戸の水汲み櫓が目立つ。
城の内部のフレスコは素晴らしい!
浴室・サウナの丸天井に描かれた星座である。
アムラ城のドーム状の丸屋根(サウナ)とお風呂のあるところ。
建物の外にある深さ25mの井戸と水汲み装置の櫓がある。
マダバはアンマンの南30Kmにある小さな街である。
多くの教会があり、ビザンチン時代とウマイヤ朝時代の素晴らしいモザイクが沢山残されている。
最も有名なのは6世紀パレスチナの地図を描いた聖ジョージ教会内のものである。
他にも処女教会や殉教者教会の跡地にもきれいなモザイクや石碑が残されており、マダバの街はモザイク修復等の技術学校もあり、敷物(ジュ―タンとその絵柄)でも有名である。
このスナップは聖ジョージ教会内部でこの床に6世紀パレスチナの地図(ロープ内)が描かれている。
昼食をパンとスプレッド(ホムス)やスープもおいしい、ハラート・ジョドウドナと言う、しゃれたレストラン(中庭のぶどう棚の下のテーブル)でとる。
14:30、今日の目的地ペトラに向かう。
これはペトラに入る前の展望地点から中央はるか向うのペトラを見る。
(しかし、ペトラは岩山の向うなので見えない。
このあたりはワディ・ムサと呼ばれている街である。
)
ペトラは世界遺産に指定されており、日本人にもとても人気のあるサイトである。
入場券は外国人は20JDと高い。
ここではガイドも雇えるが、ぱぶさんは前回雇って一応の説明を受けていたので、今回は頼まず。
(8:00入場)
この店のところからいよいよシーク(岩の割れ目)と言われる岩の裂け目の狭い通路に入る。
ペトラの街はナバタイ人の都市跡で、紀元前4世紀頃から通商の中継都市として栄えていた。
最盛期は紀元前2世紀頃で、水道や大宝物殿等が岩をくりぬいて造られている。
この向うにエル・ハズネという大宝物殿がそびえている。
シークの割れ目から抜け出すと突然真正面に聳え立つ大宝物殿に圧倒される。
ここは「インディー・ジョーンズの最後の聖戦」が撮影されたロケ地でもある。
(8:40着)
エル・ハズネにはラクダが良く似合う?
エル・ハズネの裏からペトラの街跡が始まる。
街の内部は広く、丸1日歩いても全部はカバーできない。
道の両側の岩肌には何世紀にもわたって造られ維持された各家の岩窟墓が何百とある。
ローマ円形劇場跡。
柱廊通り
凱旋門
うしろの岩窟建屋はペトラのエル・ハビス博物館。
博物館内部の展示品一つ。
博物館裏の崖上からの景色。
帰りにエル・ハズネをバックに記念の記録一枚。
帰りは疲れたので馬の上から!
帰りにエル・ハズネ前から、入り口のシーク(岩の裂け目)を撮ったもの。
振り返って、ペトラってこんなところ?
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