さすらいおじさんさんの旅行記
テーマ:世界遺産・遺跡・秘境
旅行記タイトル:中東の旅【17】 「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」の舞台 ヨルダン・ペトラの「エル・ハズネ」
旅行期間:2005/09/27〜2005/10/08
旅行記の内容:1985年に世界遺産に登録されたヨルダン・ペトラ遺跡は1989年のアメリカ映画「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」のロケ地になってから一躍世界的に有名になり、ヨルダンを代表する観光地になった。
ジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグというハリウッドの巨匠が岩山に築かれた幅30m、高さ43メートルの「エル・ハズネ」をキリストの聖杯が隠された神殿との舞台設定をしたものだが確かに大自然を活用し、岩山を彫って築いたペトラ遺跡には他の世界遺産には類を見ない荘厳さがある。
「シーク」は切り立った90mの断崖に挟まれた2キロ続く狭い道のエリアだが、まず迫り来る断崖の間を通る時の圧迫感と黄土色の岩肌を持つ大自然の景観に驚かされる。
モーゼが紅海を2つに割ったのと同様に奇跡を起こして岩山を割って道をつけたという伝説があるそうだが、実際は太古の地殻変動でできた断層のずれだそうだ。
だがモーゼが現れそうな神がかり的な自然だ。
外部からの敵の侵入を難しくしている断崖に挟まれた細い道を活用し、自然の要塞として紀元前4世紀頃ナバティア王国を築いたことも納得できる。
そしてこの神秘的な自然に築いた遺跡を映画に取り入れたジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグの眼力はさすがに世界の巨匠だと思う。
数千年前から人が住み着いたというペトラは、紀元前7世紀ごろからアラビア半島から移り住んだ遊牧民族のナバティア人が定住し始め、紀元前4世紀ごろにはナバティア王国の首都となった。
岩山に囲まれたペトラは、アラビア、中国、インドと、エジプト、シリア、ギリシャ、ローマとを結ぶシルクロードの交易都市として栄え、紀元前1世紀頃、オボダス1世、アレタス3世の時代にはアンマン、ダマスカスまで勢力を伸ばし最盛期を迎えている。
だが106年にはトラヤヌス帝率いるローマ軍に制圧されてローマ帝国に併合され、交易の中心がパルミラ、ボスラに移るに従い衰退している。
その後ビザンチン帝国によるキリスト教支配、イスラム支配、12世紀には十字軍による要塞化がなされるが13世紀には僅かなベドゥイン族が住むだけの僻地となり19世紀初頭にスイスのブルクハルトに発見されるまで忘れ去られた存在であった。
2キロ続くシークを抜けて突然現れる幅30m、高さ43メートルの「エル・ハズネ」には誰もが歓声を上げる。
「エル・ハズネ」は宝物庫と言われ「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」の映画のように宝物が隠されていると思われていたそうだが、実際はナバティア王の墓という説が有力とのこと。
確かにイランのペルセポリス近郊の岩山を彫って築かれたダレイオス1世(紀元前5世紀頃)の墓に似ている。
ナバティア人はペルシャの文化を受け継いでアラビア半島から来たのかも知れないなあと「エル・ハズネ」を見上げながら思った。
(写真はエル・ハズネ)
写真:1985年に世界遺産に登録されたヨルダン・ペトラ遺跡は1989年のアメリカ映画「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」のロケ地になってから一躍世界的に有名になり、ヨルダンを代表する観光地になった。
ジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグというハリウッドの巨匠が岩山に築かれた幅30m、高さ43メートルの「エル・ハズネ」をキリストの聖杯が隠された神殿との舞台設定をしたものだが確かに大自然を活用し、岩山を彫って築いたペトラ遺跡には他の世界遺産には類を見ない荘厳さがある。
「シーク」は切り立った90mの断崖に挟まれた2キロ続く狭い道のエリアだが、まず迫り来る断崖の間を通る時の圧迫感と黄土色の岩肌を持つ大自然の景観に驚かされる。
モーゼが紅海を2つに割ったのと同様に奇跡を起こして岩山を割って道をつけたという伝説があるそうだが、実際は太古の地殻変動でできた断層のずれだそうだ。
だがモーゼが現れそうな神がかり的な自然だ。
外部からの敵の侵入を難しくしている断崖に挟まれた細い道を活用し、自然の要塞として紀元前4世紀頃ナバティア王国を築いたことも納得できる。
そしてこの神秘的な自然に築いた遺跡を映画に取り入れたジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグの眼力はさすがに世界の巨匠だと思う。
数千年前から人が住み着いたというペトラは、紀元前7世紀ごろからアラビア半島から移り住んだ遊牧民族のナバティア人が定住し始め、紀元前4世紀ごろにはナバティア王国の首都となった。
岩山に囲まれたペトラは、アラビア、中国、インドと、エジプト、シリア、ギリシャ、ローマとを結ぶシルクロードの交易都市として栄え、紀元前1世紀頃、オボダス1世、アレタス3世の時代にはアンマン、ダマスカスまで勢力を伸ばし最盛期を迎えている。
だが106年にはトラヤヌス帝率いるローマ軍に制圧されてローマ帝国に併合され、交易の中心がパルミラ、ボスラに移るに従い衰退している。
その後ビザンチン帝国によるキリスト教支配、イスラム支配、12世紀には十字軍による要塞化がなされるが13世紀には僅かなベドゥイン族が住むだけの僻地となり19世紀初頭にスイスのブルクハルトに発見されるまで忘れ去られた存在であった。
2キロ続くシークを抜けて突然現れる幅30m、高さ43メートルの「エル・ハズネ」には誰もが歓声を上げる。
「エル・ハズネ」は宝物庫と言われ「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」の映画のように宝物が隠されていると思われていたそうだが、実際はナバティア王の墓という説が有力とのこと。
確かにイランのペルセポリス近郊の岩山を彫って築かれたダレイオス1世(紀元前5世紀頃)の墓に似ている。
ナバティア人はペルシャの文化を受け継いでアラビア半島から来たのかも知れないなあと「エル・ハズネ」を見上げながら思った。
(写真はエル・ハズネ)
シークに向う光景。
シークの手前の光景。
シークの手前の岩に築かれた墳墓の光景。
シークの入口の光景。
「シーク」。
切り立った90mの断崖に挟まれた2キロ続く狭い道のエリアだが、まず迫り来る断崖の間を通って見る圧迫感と黄土色の岩肌を持つ大自然の景観に驚かされる。
モーゼが紅海を2つに割ったのと同様に奇跡を起こして岩山を割って道をつけたという伝説があるそうだが、実際は太古の地殻変動でできた断層のずれだそうだ。
だがモーゼが現れそうな神がかり的な自然だ。
「シーク」。
迫り来る断崖の圧迫感と黄土色の岩肌を持つ大自然の景観に驚かされる。
「シーク」に造られたローマ時代の道。
「シーク」に見られるナバティアの神を祀る岩の彫刻。
「シーク」に見られるナバティアの神を祀る岩の彫刻。
「シーク」に見られるナバティア時代の墓。
天国への階段が彫られている。
「シーク」から見る岩山。
2つの岩山に押しつぶされそうな「シーク」。
2つの岩山に押しつぶされそうな「シーク」。
「シーク」に見られる人とラクダの彫刻。
このような遺跡はまだ10%しか発見されていない。
「シーク」を往来する馬車。
「シーク」に築かれた貯水ダム。
「シーク」の太古の海中での堆積が良く解る岩肌。
「シーク」から顔をのぞかせた「エル・ハズネ」。
「シーク」から顔をのぞかせた「エル・ハズネ」。
幅30m、高さ43メートルの「エル・ハズネ」。
「エル・ハズネ」は宝物庫と言われ「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」の映画のように宝物が隠されていると思われていたそうだが、実際はナバティア時代の王の墓という説が有力とのこと。
幅30m、高さ43メートルの「エル・ハズネ」。
「エル・ハズネ」周辺の光景。
「エル・ハズネ」周辺の光景。
「エル・ハズネ」から見る「シーク」の光景。
「エル・ハズネ」の内部。
「エル・ハズネ」の内部。
「エル・ハズネ」から見る「シーク」の光景。
「エル・ハズネ」のヘレニズム時代の円柱の装飾。
「エル・ハズネ」の内部。
「エル・ハズネ」の内部。
「エル・ハズネ」の発掘中の穴。
「エル・ハズネ」のヘレニズム時代(紀元前4世紀?1世紀)のアレキサンドリアの特徴がある建築美術。
「エル・ハズネ」のヘレニズム時代(紀元前4世紀?1世紀)のアレキサンドリアの特徴がある建築美術。
左の円柱の上に載っている壷の財宝が入っていると信じられ、「宝物庫」と呼ばれたそうだ。
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