ジェロニもさんの旅行記
テーマ:
旅行記タイトル:王の道 カラクへ?砂漠に15年ぶりの雪が積もる?
旅行期間:2007/01/01〜2007/01/01
旅行記の内容:
死海を後にカラクへと向かう。
この辺り、やたら検問が多い。
やはりイラクでのフセインの死刑が影響しているのだろうか?
ヨルダンの正式名称は「ヨルダン・ハシミテ王国」
けしてヨルダン・ハチャメチャ王国ではありません^^
カラクの名は、フランク人(十字軍に対するイスラム側の呼び名)のなまり「Le Crac」からきています。
写真:
死海を後にカラクへと向かう。
この辺り、やたら検問が多い。
やはりイラクでのフセインの死刑が影響しているのだろうか?
ヨルダンの正式名称は「ヨルダン・ハシミテ王国」
けしてヨルダン・ハチャメチャ王国ではありません^^
カラクの名は、フランク人(十字軍に対するイスラム側の呼び名)のなまり「Le Crac」からきています。
十字軍のエルサレム遠征により1099年エルサレム王国が誕生し、1132年エルサレム君主の指示のもと、エルサレムへの通路を守るためにカラク城は建設されたました。
これによってアフリカをアジアから切り放すことに成功し、経済的にも大きな利益を得るようになる。
十字軍はこの大要塞を50年近く守り続けたましたが、1188年サラディーン率いるアラブ軍によって落城しました。
その後数々の増築を繰り返しますが、1293年に起こった大地震で城の大半は崩れてしまったそうです。
以後、 カラクはイスラム教徒の都市として何世紀も栄えていくことになります。
その後王朝はマムルーク朝、オスマントルコ、ヨルダンと交代していきますが、街はその規模を拡大し続け、現在に至っています。
死海方面を見渡す。
十字軍時代、ここから毎夜、灯火が焚かれ、エルサレムに「本日も異常なし」の信号を送ったといわれています。
ここカラクは、死海を見下ろす海抜1000mの渓谷や丘が連なる丘陵地帯の高台にあります。
ふと、南仏のゴルドーやレ・ボーを思い出しました。
キングフセイン通りのカラクの中心部にある広場に、この「サラディーン像」があります。
東側には、すばらしい眺めが広がっていました。
このどこかの丘の頂上には、将来カラク城を含むカラクの町全体を眺めることの出来る展望台が作られる予定だそうです。
カラク城は、「ヨルダン一美しい十字軍の城」といわれています。
この町には、多くのキリスト教徒が住んでいます。
ビザンチン、十字軍時代の影響は今も残っていて、大多数がイスラム教徒で占められておりますが、キリスト教名を持った人も多いという。
そういや、ドロシーギルマンの「おばちゃまはスパイ」シリーズにここ「カラク城」がでてきたなぁ。
・・・・・・・・・・
そこは壁のない切り立った石のベランダだった。
「ここから囚人たちを城のまわりの濠に突き落として殺したのです」
ミセス・ポリファックスはぶるんと震えたが、おそるおそる端のほうまで行ってみた。
見下ろしてみると、地面まではかなり距離があった。
「恐ろしいこと!」
・・・・・・・・・・
ここか!この場所だよ。
。
。
カラクを後にして、「王の道」を一路ペトラへ!
ところが、なんと、4日前の大雪で、キングス・ハイウエイは通行止め!急遽、デザート・ハイウエイから迂回して向かうことにしました。
その、デザート・ハイウエイに出たら、いきなりの事故を目撃!向こう側の低い窪地に車が横転しています。
この道は、交通量が多く、かなりのスピードでトラックやバスが走っています。
しばらくしたら・・・・
ご覧の通り。
ドイラバー君が何やら、携帯電話でかけまくっています。
「○■×△●▼?・・」
どうやら、砂漠に雪が積もっていることがすごいらしい。
仕舞いには、このドライバーまで、携帯カメラでパシャパシャ撮り出して、友達に送っていました!
一面、砂漠に、雪です。
かなり、めずらしいとか?
「15年ぶりだよ!」
えっー?
ペトラまでのドライバー君の名はサミー。
車はプジョーです。
29歳独身と言ってました。
でも、上の方が涼しそうでした?
ちょいと遅れて着きました。
ホテルは、ムーベンピックです。
やはり、ホテルに入るのに、金属探知機の検査がありました。
ペトラゲートにも、一番近そうです。
こんな山の中ですから、高級ホテルはありません。
でも、十分ですね。
日本の方が以外に多いのには驚きました。
ここで、携帯電話を使用してみます。
バリバリ表示されていましたが、ローミングがうまくいかない?
いろいろ試しましたが、つながらないのは日本だけのようです????
ロンドンなどには通話が問題なくできました。
原因はアンマンで判明します。
ホテルを出て、右側の坂をリトルペトラの方面に5分ほど上がっていくと、このようにペトラが見渡せる展望台がありました。
ついに来たか・・・
ついに来たか・・・
「王の道」キングスハイウェイ(King's Highway)
アンマンから、マダバ、カラク、ペトラを経て紅海のリゾート地アカバに至る道が、「王の道」です。
旧約聖書にその存在が記されているヨルダンの「王の道」、数千年の歴史をもつ世界最古の道であり、この道沿いには数多くの王国が群雄割拠していた事から、この王の道という名がついたようです。
メニュー
旅行記のメニュー
|台北!美味!☆|すべすべお肌に! Dead Sea SPA at Four Seasons Amman|王の道 カラクへ?砂漠に15年ぶりの雪が積もる?|エミレーツ航空 ファーストクラスで マダバ?ネボ山|死海で、「おなら」をしてみたら・・・(≧O≦)|エミレーツ航空(EK) ファーストクラス 搭乗記|2004年4月のイラク|欧州・バックパッカーの旅【54】 イスラエル・エルサレムの新市街を歩く|南インド・・・?(カニャークマリ インド大陸最南端の朝日)|中東の旅【22】 中東(レバノン、シリア、ヨルダン)で出会った人達|中東の旅【21】 死海文書の一部が所蔵される アンマン国立考古学博物館|中東の旅【17】 「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」の舞台 ヨルダン・ペトラの「エル・ハズネ」|中東の旅【14】 ローマ帝国の戦車競技場が目を引く ヨルダン・ジェラシュ遺跡|アンマンで、「あんまん」を食べてみた!|ハママト・マイーン(ヨルダンの温泉)体験記|ヨルダンの旅(2)・・死海の浮遊体験と中東最大規模の都市遺跡ジェラシュを訪ねて|2006.12 ヨルダン アンマン|リーマンパッカーの中近東10日間ひとり旅?エルサレム・死海編|リーマンパッカーの中近東10日間ひとり旅?アンマン編|中東縦断 ヨルダン編?うれしはずかし初体験?|中東縦断 ヨルダン編?洗濯日和?|ヨルダンでのチャレンジ・ゴルフ!|ヨルダン|テヘラン発ダマスカス行き中東横断特急列車 06/06|ヨルダン・シリア・トルコの一人旅|2泊3日のヨルダン観光 (3) 最終回: 死海、ジェラッシ、アジュルン&アンマン|ジェラシュ遺跡|Baptism site|2泊3日のヨルダン観光 (2) カラク城、ワディ・ムジブ、ネボ山|2泊3日のヨルダン観光 (1) ハラナ&アムラ城からペトラ|帰ってきたアカバ。 またまたダイビング!|ジェラッシの野外ローマン・シアター(南劇場)で夜間オペラ観劇|世界一周旅行記【part9】イスラエル・エルサレム|世界一周旅行記【part8】ヨルダン・アンマン|カイロから陸路イスタンブールへ ★本編その2★ヨルダン|シリア/ダマスカス(2002/03)|アラブの誇りシリアの首都ダマスカス。|ヨルダンの旅。|南インド/カーニャクマリ(2004/10)|ヨルダン 2泊5日でも満喫!【3.死海、ジュラシュ、アムラ城他】|ヨルダン 2泊5日でも満喫!【1.ぺトラ遺跡編】|シリア・ヨルダン・レバノンの旅(ヨルダン編)|キプロス&ギリシャの旅(1)キプロス共和国1日目|ローマ遺跡ジェラシュ|シンガポール|シリアの世界遺産を訪ねて|さよなら夏休み|死海でぷかぷか|ヨルダンへ入国|ダマスカスでねずみ女になるの巻き
関連項目のメニュー
|アンマン|アンマンの歴史|アンマンの地理|アンマンの交通|アンマンの観光地|アンマンの姉妹都市|アンマンのギャラリー|アンマンの関連項目
リンク